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ゲーム論


このページでは、管理人がフリーでゲームを製作している上で、 主にコンピュータゲームに関して考えついたことや述べておきたいことなどを、論文形式で公開しています。 ただし、ゲーム「論」とは言っても本格的にその手の研究をしているわけではないので、 読者によっては内容的に稚拙な印象を受ける可能性があるかもしれません。 ましてや、ゲームクリエイターの方々には到底及びません・・・。
・・・まあ、こればかりは素人なので、あしからず御容赦下さい。

なお、このゲーム論のページ製作にあたり、いくつかのサイトを参考にさせていただきましたので、 これらに賛辞を表し、誠に勝手ながらページ最下部にリンクを貼らせていただきました。


ゲーム論 インデックス一覧



ゲームとは何か

そもそも、「ゲーム」とはいったい何か。

そこでまず、「ゲーム」という言葉を辞書で引いて調べてみよう。 すると、たいていは「遊び」「冗談」、「競技」「勝負」、さらには「方針」「策略」と続く。 遊びという意味合いにおいては、ゲーム=娯楽・享楽 の定義がなされるかもしれない。 ゲームは、一人で行うこともできるし、2人以上で行うこともできる。 ただ、すべてのゲームにおいて共通することは、そこには必ず勝ち負けがあるということである。 そのため、ゲームは遊びの一種でありながら、対戦相手との駆け引きを伴い、 その相手を打ち負かすためにいろんな戦略を練る・・という性質のものである。 そして、勝敗を問わず、その駆け引きを楽しむことがゲームの本質ではないかと考える。


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アナログゲームとデジタルゲームの定義

ゲームは、その媒体によって大きく「アナログゲーム」と「デジタルゲーム」に分けることができる。

まず、アナログゲームとは、電子映像等媒体を使用しないで行われるゲームのことである。 すなわち、コンピュータやゲーム機、モバイル類などを使わずに遊べるゲームが、アナログゲームである。 身近な例で言えば、子供たちがよくやる鬼ごっこや、かくれんぼ、サッカーやドッヂボールなどのスポーツは、 まさにアナログゲームの代表である。 また、自分のアイデア次第にすぐその場で作れるのが、アナログゲームの大きな特徴である。

一方、デジタルゲームとは、電子映像等媒体を使用して行われるゲームのことであり、 ゲーム実行の際には必ず電子映像等媒体が用いられる。 パソコン用ゲームはもちろんのこと、家庭用コンシューマーゲーム機、携帯型ゲーム機(携帯電話を含む) などは、すべてデジタルゲームの範疇に入る。

なお以下より、このページではデジタルゲームのことを「ゲーム」と記述させていただくことにする。


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ゲームのジャンル(種類・分類)

コンピュータゲームには、その作品の内容によって様々なジャンルに分類される。 一般に、ゲームジャンルは次のように分けることができる。

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ゲームに関わる者による視点の違い

ゲームに関わる者としては、その行為等によって大きく以下の3つに分類することができる。 これらのうち、当該ゲームを使用するにあたってどの立場に立つかによって、 そのゲームに対する視点が変化する。

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ゲームによって受けるメリット

ゲームと関わりを持つことによって、人は何らかの恩恵を受けることができると言われる。 そのメリットについて、以下に三者ごとに簡潔にまとめてみた。

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ゲームによって受けるデメリット

その一方で、ゲームにはいくつかのマイナス点が存在する。 具体的には次のとおりであると推測される。

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ゲームの暗黒面について

表現の自由という言葉があるが、これは現実社会のみならずゲームの世界においても保障されるべきものである。 そのため、ゲームの表現手段ひとつをとっても、比較的穏やかなものから過激なものまで、 じつに千差万別である。 しかし、だからといって何でも容認されるのだろうか。
ゲームによっては、次のような表現方法が使われていることがある。 こうした表現方法が使用されているゲームでは多くの場合、プレイヤーに年齢制限が加えられている。 これは、当該ゲームをプレイしようとするプレイヤーが、人間的に、精神的に円熟し、 万一不正を起こしても自分で責任を取ることができるように、という配慮である。 だが、これを守らず、当該年齢に達していないプレイヤーが現実世界で凶悪な事件を 起こしてしまうことが多いのも、また事実である。 ゲームプレイ時間に反比例して、健全な肉体的活動を伴った遊びの時間は減少する。 そして、ゲームのプレイ時間が長く、暴力シーン等をはじめとした有害性のあるシーンを多く経験するほど、 彼の攻撃動機がより促進され、こうした犯罪に走りやすい傾向が強まるのである。


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ゲームと健康の善悪

ゲームは、その内容を映像として映し出すディスプレイ画面と、音声等を流すスピーカーを利用しており、 また、プレイヤーがこれらに少なからず拘束されることにより、 実際の健康に良かれ悪しかれ影響が出てくるものである。 ここでは、ゲームがプレイヤーに与える健康面での影響を、体力・肉体面と、精神・心理面の2つに分けて述べたい。

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ゲームをしない者について

われわれ人間にとって享楽・娯楽の対象でもあるゲームだが、世の中には ゲームプレイを何らかの理由で避ける人々がいる(以下、非プレイヤーとする)。 非プレイヤーは、日常生活において必ずしもゲームをプレイする必要性を感じない人のことであり、 積極的にゲームをすることを好まない。 その理由として、ゲームを(見るだけのことはあっても)プレイすること自体が好きでない場合や、 時間的に余裕のない場合などがある。 だが、本当にゲームを必要としない非プレイヤーというのは、 みずからの能動性発露の対象として、ゲームそのものを望まない。 そういった非プレイヤーにとって、ゲームはただの不要の長物でしかないのである。

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ゲームの部分別評価基準

コンピュータ・デジタルゲームにおいて、すべてのゲームソフトは、 その外観や内容、その他様々な要素によって、それぞれが1つのゲームソフトとして構成されている。 そして当該ゲームのプレイヤーは、そのゲーム、およびゲームソフトに対する総合的な評価を下すのである。 しかし、それはあくまでも総合的な評価であって、部分的な評価ではない。

そこで、1つのゲームソフトは、最後に総合的な評価を下されるための要素として、 次のような観点からそれぞれ評価されるのではないかと考えられる。


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「クソゲー」とは

デジタルゲームの進化は大変に早く、その間に膨大な数のゲームが開発されていく。 そうして作られたゲームの中には、まれにゲーム史上に残るような名作も現れるが、 一方で俗に「クソゲー」と呼ばれるゲームが多く産出されることも事実である。

クソゲーの定義は現在、人によって様々であり、科学的な実証理論・定義がないため、 このページでは次のように定義する。

クソゲーとは、基本となるゲームシステム、シナリオ、キャラクター、操作性のうち いずれか1つ以上の要素が極端に劣り、これを要因としてほとんどのプレイヤーが 当該ゲームを最後までクリア・完遂することができないゲームである。 クソゲーは、プレイ開始からしばらくの間は何も違和感を感じないことが多い。 しかし、プレイ時間が長くなるにつれ、徐々にえもいわれぬ感覚を覚え、プレイヤーがこれを 受け付けなくなるのである。 具体的な例としては、謎解きの内容があまりにも現実離れしていて理不尽なものが大半を占めている場合や、 操作の反応が遅い場合、また難易度が異常に高い場合などがある。

しかしながら、こうしたゲームは、一般的にはクソゲーと言われても個性は光っているものであり、 これを好むプレイヤーがいることも事実である。 時には、こうしたクソゲーであえて遊んでみるのもいいだろう。


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ゲームスペック進化の功罪

20世紀の終わりあたりから、日本ではじつに数多くのゲームハードが発売されるようになった。 ことに、家庭用ゲーム機の進化は目まぐるしく、数年経てばまた新しいハードが発売される始末である。 有名なものでは、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン、赤ファミ)に始まり、 スーパーファミコン、ゲームボーイ、NINTENDO64、ゲームキューブ・・へと続いていく。 他者もこぞってゲームハードを開発し、セガサターン、プレイステーション、ドリームキャスト、 ワンダースワン、PSP・・など、任天堂に引けを取らないまでのゲームハードを次々と開発していき、 今日競争を激化させている。

このゲームハードの進化に伴って、ゲームスペックも格段に進化した。 例えば、ゲーム中のマップが2Dから3Dになり、サウンドの質は日増しに良くなった。 さらに、コントローラのボタンの数が増え、キャラクターに複雑な操作をさせることも可能になった。 また携帯用ゲームを中心に、ケーブルをつなぐ、無線で発信するなどの方法によって、 プレイヤー同士がリアルタイムで相互にデータを共有・交換できるようになった。

しかし、ゲームスペックの進化はその一方で、今なお数多くの汚点を残している。

多くの家庭用ゲーム機が出現したことによって、プレイヤー側にとっては選ぶ楽しみは増えたが、 そのぶん経済的な消費が過剰に増える傾向がある。 また、家庭用ゲーム機はPCと違い、ハード間の互換性がほとんどない。 そのため、新しい家庭用ゲーム機でゲームをプレイするには、それらをひとつひとつ買わなければならず、 テレビにつなぐ配線や電源ケーブル等、取り回しが煩雑になりやすい。 さらに、ゲームスペックの進化はあまたの「クソゲー」を生み出し、 プレイヤーを食い物にしては捨てていく。 最近はビジュアル面のみが重視され、ムービーばかりが多用されているゲームが多く目に付く。 が、これは筆者としては誠に遺憾である。操作性の良さと、しっかりとした重厚なシナリオ。 この2つがあってこそ、ゲームは成り立つのではないかと思う。


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「良いゲーム」「悪いゲーム」――ゲームバランスについて

世の中には、「良いゲーム」と「悪いゲーム」が存在する。 ゲームの善し悪しは、最終的にはクリエイターではなく、プレイヤーが決定し、評価を下していくものである。 そして、総合的に見て、良いと思ったゲームが「良いゲーム」となり、悪いと思ったゲームが「悪いゲーム」となる。 この決定づけには、個人的な問題のほか、ブランドや他者の評判など様々な因子が加味されることがほとんどであるが、 筆者は、「良いゲーム」と「悪いゲーム」について、これまでの経験則に基づいてこう定義する。

「良いゲーム」とは、プレイしていて楽しいゲーム、そしてプレイ中は自然に時間の経過を忘れられるほど 心の底から熱中できるゲームである。 ゲームは、われわれ人間にとって享楽・娯楽の道具のひとつであり、楽しむことが目的であるため、 本当に楽しめるゲームは、一度プレイを始めると個人の意思ではなかなかやめることができない性質を持っている。 それこそが、真に「良いゲーム」なのである。 プレイして後から単に楽しかったというだけのゲームは、当該プレイヤーにとって本当の意味で 良いゲームとはなり得ない。

「悪いゲーム」とは、プレイヤーにとって理解しがたく、かつ受け入れられないゲームである。 例えば、ストーリーや操作性が極端に悪いゲームや、プレイヤーに理不尽なまでに複雑なボタン操作を要求する 難易度の高いゲームが、これに該当する。 また、ゲーム内容に比してやたらと値段が高いゲームソフトも、悪いゲームの範疇とされることがある。 ゲームは楽しむことに意義があるため、プレイヤーに嫌悪感を抱かせることがあってはならない。

いずれにせよ、真に良いゲームであるためには、製作者が、不特定多数のプレイヤーの立場に立って考え、 独り善がりにならないように留意することである。 プレイヤーが、初めてゲームを開始した時に、まず最初に何を行えばいいのかを示す。 それは、オープニングムービーを流すのであったり、いきなり操作を要求するものであったりするが、 すべては製作者の意図と手腕ひとつにかかっている。 また、難易度や表示(ロード)の速度、シナリオの整合性を調整し、デバッグを繰り返して 1つのゲーム作品を製作する。 こうしてゲームバランスの調整をすることで、1つの作品はようやく完成するのである。


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参考資料等
Gamers Resources
コスティキャンのゲーム論
コンピュータゲーム論



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