ゲーム論
このページでは、管理人がフリーでゲームを製作している上で、
主にコンピュータゲームに関して考えついたことや述べておきたいことなどを、論文形式で公開しています。
ただし、ゲーム「論」とは言っても本格的にその手の研究をしているわけではないので、
読者によっては内容的に稚拙な印象を受ける可能性があるかもしれません。
ましてや、ゲームクリエイターの方々には到底及びません・・・。
・・・まあ、こればかりは素人なので、あしからず御容赦下さい。
なお、このゲーム論のページ製作にあたり、いくつかのサイトを参考にさせていただきましたので、
これらに賛辞を表し、誠に勝手ながらページ最下部にリンクを貼らせていただきました。
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ゲームとは何か
そもそも、「ゲーム」とはいったい何か。
そこでまず、「ゲーム」という言葉を辞書で引いて調べてみよう。
すると、たいていは「遊び」「冗談」、「競技」「勝負」、さらには「方針」「策略」と続く。
遊びという意味合いにおいては、ゲーム=娯楽・享楽 の定義がなされるかもしれない。
ゲームは、一人で行うこともできるし、2人以上で行うこともできる。
ただ、すべてのゲームにおいて共通することは、そこには必ず勝ち負けがあるということである。
そのため、ゲームは遊びの一種でありながら、対戦相手との駆け引きを伴い、
その相手を打ち負かすためにいろんな戦略を練る・・という性質のものである。
そして、勝敗を問わず、その駆け引きを楽しむことがゲームの本質ではないかと考える。

アナログゲームとデジタルゲームの定義
ゲームは、その媒体によって大きく「アナログゲーム」と「デジタルゲーム」に分けることができる。
まず、アナログゲームとは、電子映像等媒体を使用しないで行われるゲームのことである。
すなわち、コンピュータやゲーム機、モバイル類などを使わずに遊べるゲームが、アナログゲームである。
身近な例で言えば、子供たちがよくやる鬼ごっこや、かくれんぼ、サッカーやドッヂボールなどのスポーツは、
まさにアナログゲームの代表である。
また、自分のアイデア次第にすぐその場で作れるのが、アナログゲームの大きな特徴である。
一方、デジタルゲームとは、電子映像等媒体を使用して行われるゲームのことであり、
ゲーム実行の際には必ず電子映像等媒体が用いられる。
パソコン用ゲームはもちろんのこと、家庭用コンシューマーゲーム機、携帯型ゲーム機(携帯電話を含む)
などは、すべてデジタルゲームの範疇に入る。
なお以下より、このページではデジタルゲームのことを「ゲーム」と記述させていただくことにする。

ゲームのジャンル(種類・分類)
コンピュータゲームには、その作品の内容によって様々なジャンルに分類される。
一般に、ゲームジャンルは次のように分けることができる。
- ロールプレイングゲーム(RPG):
プレイヤー(ゲームの行為者)が、ゲーム中の主人公になりきり、その役割を演じるゲームである。
一般に、主人公を操作することによってゲーム中で起こる様々な事件を解決し、
最後に魔王などのボスを倒してエンディングを迎える、という展開のものが多い。
- アドベンチャーゲーム(AVG):
プレイヤーは、ゲーム中の主人公または彼の指示した別のキャラクターとなり、
ゲーム中で起こる様々なイベントを解決していくゲームである。
RPGとの違いは、シナリオよりもアクション(行動)をやや重視する傾向が強いことと、
RPGのような主人公を直接動かす操作によるマップ移動が少ないことである。
また、恋愛系ゲームの一部も、恋愛アドベンチャーとしてこの範疇に含まれる場合がある。
ADVとも略す。
- シミュレーションゲーム(SLG):
プレイヤーは主に第三者となって、ゲーム中に登場する各キャラクターを操作し、
そのキャラクター同士の関係や世界観などを体験するゲームである。
仮想と現実を問わず、体験することを重視しているため、
電車や飛行機等のビークル・シミュレータ系ゲームも、この範疇に含まれる。
ただし、ビークルにより競争を伴う内容のものは、レーシングゲームであり、これに含まれない。
- アクションゲーム(ACT):
プレイヤーは、主にゲーム中の主人公となり、ゲーム中に仕掛けられた様々なトラップを、
ダッシュやジャンプ、攻撃など、直接的なアクションを駆使することによってクリアしていくゲームである。
そのため、アクションゲームは性質上、画面上の空間に「重力」が生まれるのが大きな特徴であり、
プレイヤーはゲームプレイ中、多少の反射神経を問われることになる。
- シューティングゲーム(STG):
プレイヤーは、主にゲーム中に登場する戦闘用ビークルの操縦士となり、
これを操って移動・攻撃を行ない、次々にステージをクリアしていくゲームである。
多くの場合、プレイ画面には強制スクロール処理が施されており、
ACT以上に鋭い反射神経を問われることになる。
- パズルゲーム・テーブルゲーム(PZL・TBL):
これらは、読んで字のごとくのゲームである。
パズルゲームとしては、テトリスをはじめ、15パズルやクロスワード、数独などが代表的なものとして挙げられる。
また、テーブルゲームとしては、トランプや花札、オセロ、バックギャモンなどが挙げられる。
両者の違いは、ゲーム中に謎解き(パズル)の要素があるかないかの違いだが、
いずれも純粋な勝ち負けよりも、得点(点数)を稼いで楽しむ傾向が強い。
- その他のジャンル:
上記以外のジャンルとしては、「ツクール」シリーズをはじめとしたゲーム製作ツールや、
パチンコ・パチスロ・競馬などのギャンブル系、熱帯魚や自然の鑑賞系などがある。
また、画像や音楽等のデータ集であったり、有名人のプロモーションソフトであることも、
まれにあるようだ。

ゲームに関わる者による視点の違い
ゲームに関わる者としては、その行為等によって大きく以下の3つに分類することができる。
- 使用者:
ゲームを直接使用し、遊びなどの行為を行なう者。すなわち、プレイヤーである。
- 製作者:
ゲームを直接は使用しないが、製作に関わるため深く当該ゲームに関与する者。
すなわち、ゲームクリエイターである。
- 第三者:
上記二者のどちらにも直接関与せず、間接的に離れた視点から両者の動向を見る者。
いわゆる、ギャラリーである。
これらのうち、当該ゲームを使用するにあたってどの立場に立つかによって、
そのゲームに対する視点が変化する。
- 使用者:
使用者は、当該ゲームを使用するにあたって最も関与しているため、
そのゲームに対して最も能動的かつ主観的に動くことができる。
また、ゲームの使用者は、その性格や、ゲームへの熱中の度合い等によって、
そのゲームに対する好き嫌いを、他の二者よりも顕著に表わす傾向がある。
- 製作者:
製作者は、当該ゲームを製作し、これを使用者に遊んでもらうために提供する。
そのため、そのゲームに対する思い入れの観念は当該使用者よりも強く、
さらに幅広く客観的な視点からゲームを分析することに長じている。
- 第三者:
第三者とは、要するに当該ゲームの観客である。
観客は、当該ゲームの使用者と製作者の中間にの立場に立ち、
両者を一度に評価することができる。
具体的には、使用者のゲームの腕や熱中具合、そして製作者が作ったゲームに対する
全体的または部分的な評価を、冷静に判断することができるということである。

ゲームによって受けるメリット
ゲームと関わりを持つことによって、人は何らかの恩恵を受けることができると言われる。
そのメリットについて、以下に三者ごとに簡潔にまとめてみた。
- 使用者:
使用者はゲームを使用するが、この時ほとんどの場合、コントローラーやキーボード、ジョイスティックなど、
何らかの操作盤を使用してゲームを行うことになる。
また、ゲームのジャンルによっては推理や謎解き、反射神経などの要素があり、
それらの程度もゲームによって様々であるため、手の指の感覚や頭脳的な推理力が増進される。
特に一部アーケードゲーム機などの筐体(きょうたい)では、全身運動により、加えて身体の健康が増進される場合もある。
- 製作者:
製作者は、いろんな性格の使用者にゲームを使用してもらうためにゲームを製作するが、
それには広く客観的な、そして無理を強いることのないアイデアと、それを実現する技術力が要求される。
それだけに製作者は、自身がゲームを作ったという誇りと、
さらに新たなゲームシステムやゲームハード、スペック等を構築する楽しみを持つことができる。
- 第三者:
ゲームの観客は、みずからは直接ゲームには関わらないものの、
多くの種類のゲームを第三者の視点で見ていくことにより、
ゲームに対する(善悪を問わず)特定の思考や、時代の流れ、トレンド等を知ることができる。
また、場合によってはそれだけで心理的な満足を得ることもできる。

ゲームによって受けるデメリット
その一方で、ゲームにはいくつかのマイナス点が存在する。
具体的には次のとおりであると推測される。
- 使用者:
使用者は、しかしゲームに熱中すると、まわりが見えなくなることがある。
これによりゲームにはまり、抜け出せなくなる危険性がある。
また、長時間のゲーム使用により、視覚や聴覚に悪影響を及ぼすおそれがある。
- 製作者:
製作者は、ゲームに対する好意が強いために、使用者以上に健康面で悪影響を受ける可能性が高い。
また、ゲームを実際に製作する立場にあるだけに、ゲームに対するプライドが高く、
他を受け付けず固執するおそれもある。
- 第三者:
観客等の第三者は、他の二者に比べて健康面で悪影響を受ける可能性は低いが、
いろんなゲームを広く浅く見るために、ゲームの本質には直接関わらず、
またゲームに限らず、物事をうわべだけでとらえるようになる危険性がある。

ゲームの暗黒面について
表現の自由という言葉があるが、これは現実社会のみならずゲームの世界においても保障されるべきものである。
そのため、ゲームの表現手段ひとつをとっても、比較的穏やかなものから過激なものまで、
じつに千差万別である。
しかし、だからといって何でも容認されるのだろうか。
ゲームによっては、次のような表現方法が使われていることがある。
- 暴力シーン:
ホラー系アドベンチャー(「バイ○○ザード」など)や、一部サウンドノベルでよく使用される。
暴力シーンは、対人間だけでなく、ゾンビや巨大化したアメーバ等が、血を流したり不気味なおたけびを
あげたりするもので、見る人によってはものすごい嫌悪感を覚えるものである。
このため、そうした表現が使用されているゲームの場合、ゲーム開始時に
「このゲームには暴力シーンが含まれています。」といった注意書きが必要であろう。
実際にはこうした注意書きは、たいていのゲームソフトには記載されている。
- 性的な描写・表現:
男女が互いに肉体をもってコミュニケーションを交わし、深みにはまっていく。
または、性器等の身体の陰部、ならびにその動作一連をそのまま描写して見せる、という表現方法である。
いわゆる18禁ソフトでよく使用されているが、道徳観からか、
見る人によっては強烈な嫌悪感を覚えることがある。
- 現実世界の出来事・史実の流用:
現実世界は、過去に起きたあらゆる出来事・史実が重なって成り立っている。
その厳然たる史実を、仮想の世界であるゲームの中にまで持ち込むのはいかがなものか、
という反対の声もある。
とはいえ、現実の出来事だけに、総じて過激なシーンが使用されることは少なく、
むしろ歴史尊重の精神から反対の声が上がっているものと思われる。
事実、ほとんどのゲームの世界観は、私たちが生活しているこの現実世界が元ネタとなっていて、
完全に架空の世界とすることは到底かなうことではないのである。
RPGのフィールドマップひとつを見てみても、たいていは現実の世界地図と似ていることが多いのはそのためだろう。
こうした表現方法が使用されているゲームでは多くの場合、プレイヤーに年齢制限が加えられている。
これは、当該ゲームをプレイしようとするプレイヤーが、人間的に、精神的に円熟し、
万一不正を起こしても自分で責任を取ることができるように、という配慮である。
だが、これを守らず、当該年齢に達していないプレイヤーが現実世界で凶悪な事件を
起こしてしまうことが多いのも、また事実である。
ゲームプレイ時間に反比例して、健全な肉体的活動を伴った遊びの時間は減少する。
そして、ゲームのプレイ時間が長く、暴力シーン等をはじめとした有害性のあるシーンを多く経験するほど、
彼の攻撃動機がより促進され、こうした犯罪に走りやすい傾向が強まるのである。

ゲームと健康の善悪
ゲームは、その内容を映像として映し出すディスプレイ画面と、音声等を流すスピーカーを利用しており、
また、プレイヤーがこれらに少なからず拘束されることにより、
実際の健康に良かれ悪しかれ影響が出てくるものである。
ここでは、ゲームがプレイヤーに与える健康面での影響を、体力・肉体面と、精神・心理面の2つに分けて述べたい。
- 体力・肉体面:
プレイヤーはゲームをする時、たいていはテレビ等のディスプレイの前にすわり、その画面を注視し続ける。
その状態が、ゲームへの熱中の度合いによっては長く続くことが多く、これによって足腰が弱くなり、
肩こりや腰痛などの不定愁訴に悩まされる。
さらに、画面を見ていると、「まばたき」をする回数がおのずと少なくなり、やがて視力が落ちていく。
その一方で、ゲームをするという行為は、頭脳を活用することにもつながる。
少なからずゲームには謎解きの要素が含まれているため、これを解決していくために
頭の回転が速くなるのである。
また、家庭用ゲーム機のように、ハンディタイプのコントローラを使用するゲームの場合は、
両手の指を動かすため、これも頭の体操となり得る。
とはいえ、どちらかといえば悪影響のほうが強いだろう。
ゲームセンター等にある大型筐体系ゲームの場合は、全身を動かすために健康に良いとされるが、
その数はまだまだ限られているのが現状である。
- 精神・心理面:
くどいようだが、ゲームとは仮想世界での遊びであり、体験である。
プレイヤーが、ゲームはゲームと割り切っていればそれで良いのだが、
まれにゲームと現実世界との区別がつかなくなることがある。
未成年者――ことに思春期を迎える少年にその傾向が強く、
これがもとで自分自身を誇張したり、さらには犯罪行為に走ったりするのである。
悲しいが、これがゲームが産んだ副産物であり、現実なのである。
もっとも、本当に悪いのはそのようなゲームを製作した者であり、会社である。
しかしながら彼らもまた、表現の自由が保障されるべきであり、
直接悪いと断言することはできないのが事実である。
それに、ゲームという仮想世界に入ることによって現実世界での苦しさから一時的に逃れ、
本来は実現し得ないことをゲームでは簡単に実現し、精神的な満足を得ることができるという、
プレイヤー自身の目的がある。
もともとエンタテインメントが目的で作られたのがゲームであり、
プレイヤーのストレスを解消するためには一つの手段であるといえよう。

ゲームをしない者について
われわれ人間にとって享楽・娯楽の対象でもあるゲームだが、世の中には
ゲームプレイを何らかの理由で避ける人々がいる(以下、非プレイヤーとする)。
非プレイヤーは、日常生活において必ずしもゲームをプレイする必要性を感じない人のことであり、
積極的にゲームをすることを好まない。
その理由として、ゲームを(見るだけのことはあっても)プレイすること自体が好きでない場合や、
時間的に余裕のない場合などがある。
だが、本当にゲームを必要としない非プレイヤーというのは、
みずからの能動性発露の対象として、ゲームそのものを望まない。
そういった非プレイヤーにとって、ゲームはただの不要の長物でしかないのである。

ゲームの部分別評価基準
コンピュータ・デジタルゲームにおいて、すべてのゲームソフトは、
その外観や内容、その他様々な要素によって、それぞれが1つのゲームソフトとして構成されている。
そして当該ゲームのプレイヤーは、そのゲーム、およびゲームソフトに対する総合的な評価を下すのである。
しかし、それはあくまでも総合的な評価であって、部分的な評価ではない。
そこで、1つのゲームソフトは、最後に総合的な評価を下されるための要素として、
次のような観点からそれぞれ評価されるのではないかと考えられる。
- ゲームハード(本体):
初対面同士の人間と同様、ゲームは、まず見た目が肝要であろう。
ゲームソフトの形(CD-ROM、カートリッジ等)はもとより、
それとゲーム全体の基本的なスタイルや性能を決めるのは、このゲームハードである。
ゲームハードの外見デザインが広く気に入られれば、それだけで評価は上がる。
さらにゲームハード自体の性能やデータ処理能力が高ければ、なおよい。
ただ、問題はこの両者のバランスである。
デザインが良くても性能が劣っているようでは、近いうちにそのゲームハードは鳴かず飛ばずで終わる。
その逆であってもまた然りだ。
だからといって両方とも極端に良くしてしまうと、その時点で当該ゲームハードの利用者は
それ以上に高い期待を寄せてしまい、ゲームハードと当該ソフトの製作者はその重圧に耐えきれず、
かえって短命に終わってしまう危険性がある。
- ビジュアル:
ゲームに限ったことではないが、ゲームというものはプレイヤーに対して、
いつ、いかなる時でも見やすく、聴きやすいものでなければならない。
そう、ここで言うビジュアルとは、ゲームを構成する大きな2つの要素
――グラフィック(画像・画質)とサウンド(音響・効果音)――である。
この両者のバランスは、どちらかが良く偏っていてはいけないものであり、
必ずといっていいほど共に相応の性質のものでなくてはならない。
ただし、グラフィックもサウンドも、あまり質の悪いものだとプレイヤーに敬遠されるおそれがある。
かといって、あまりに高品質のものであっても、プレイヤーによっては嫌われることがある。
グラフィックの場合、2D(平面)か3D(立体)かということと、画面の動きは全体的に激しいか、
またはそれほど動的ではないか。これを先に統一しておくべきであろう。
サウンドの場合も、映画のような長い曲や効果音は避け、できるだけゲームの内容に即したものが
好印象を持たれやすいようである。
- 操作性:
ゲームはすべてその特性上、プレイヤーが何らかの操作を加えるものである。
その操作が、いかにしやすく、わかりやすいものであるか。
それが、ゲームの最も中核をなす、非常に重要な要素である。
どれだけそのゲームのビジュアルやシナリオ、登場人物などが優れていても、
肝心の操作性が欠けているようではいけない。
操作性があまりに劣ったゲームは、もはやゲームではなく、出来損ないの映画である。
プレイヤーによる操作を必要としないならば、アニメや映画を作ったほうがいい。
それほどまでに、ゲームにおいて操作性は重要視されるのである。
- シナリオ:
ひとつのゲームは、ひとつの物語である。ゆえにそのゲームの中に、筋立ったひとつのシナリオ(ストーリー)が存在する。
特にRPGやテキストノベル系のゲームにおいては、その特性ゆえにシナリオの善し悪しが
当該ゲーム全体の評価を左右する。
こうしたゲームでは、いくらビジュアル面で素晴らしい演出をしていても、
シナリオに整合性がないと、それが意味をなさなくなってしまう。
プレイヤーを随所で魅了し、感動させる。こういった要素が、ゲームには必要なのである。
ただし、テーブルゲームやパズルゲームなど、それ自体を目的とするゲームの場合は、
逆にシナリオはほとんど意味をなさないため、なくてもよいだろう。
- キャラクター:
ゲームの世界における主人公は、その世界で活躍している独特なキャラクターである。
物語のメインとなるキャラクターはプレイヤーが操作し、ほかは自動的に様々な動きを見せる。
そのキャラクターがいかに活き活きとしているか、そして魂が入っているか。
――これは重要である。
ことにシナリオ重視のゲームでは、登場キャラクターの一人一人に個性があり、特技があり、過去がある。
こうしたことがとても重要視される。
ただ、ゲームによってはプレイヤーの感情移入を容易にするための配慮として、
あえてキャラクターに個性づけをしない場合もある。
キャラクターの個性の有無は、多くの場合、シナリオとの兼ね合いによってキャラクター個々単位で決められていく。
- ブランド・知名度:
ゲームの評価を決める要素のひとつとして、そのゲームソフトのブランド・知名度がある。
有名なブランドメーカーのゲームであれば、それだけで評価は上がるであろうし、
さらに宣伝や口コミでそのゲームの名が知られていれば、さらに評価に影響してくることだろう。
しかし、それはあくまで絶対的多数の中での一般的な評価であり、
本当に当該ゲームが良いのか悪いのかを決める指標とはなり得ない。
最後は、自分自身の五感で実際に確かめるしかないのである。
- 個人的な問題、その他:
上記の各観点とは別に、プレイヤー個人の嗜好・・・すなわち、好き嫌いの問題がある。
これは、単に食わず嫌いのこともあれば、彼にとってどうしても受け入れられる性質のものではない場合もある。
その理由は諸事情によって様々で、一概にまとめあげられるものではない。
ほかにも、そのゲームが雑誌で取り上げられたり、致命的なバグが発覚したり、
その他諸々の条件によって、当該ゲームへの評価が大きく変わることもある。

「クソゲー」とは
デジタルゲームの進化は大変に早く、その間に膨大な数のゲームが開発されていく。
そうして作られたゲームの中には、まれにゲーム史上に残るような名作も現れるが、
一方で俗に「クソゲー」と呼ばれるゲームが多く産出されることも事実である。
クソゲーの定義は現在、人によって様々であり、科学的な実証理論・定義がないため、
このページでは次のように定義する。
クソゲーとは、基本となるゲームシステム、シナリオ、キャラクター、操作性のうち
いずれか1つ以上の要素が極端に劣り、これを要因としてほとんどのプレイヤーが
当該ゲームを最後までクリア・完遂することができないゲームである。
クソゲーは、プレイ開始からしばらくの間は何も違和感を感じないことが多い。
しかし、プレイ時間が長くなるにつれ、徐々にえもいわれぬ感覚を覚え、プレイヤーがこれを
受け付けなくなるのである。
具体的な例としては、謎解きの内容があまりにも現実離れしていて理不尽なものが大半を占めている場合や、
操作の反応が遅い場合、また難易度が異常に高い場合などがある。
しかしながら、こうしたゲームは、一般的にはクソゲーと言われても個性は光っているものであり、
これを好むプレイヤーがいることも事実である。
時には、こうしたクソゲーであえて遊んでみるのもいいだろう。

ゲームスペック進化の功罪
20世紀の終わりあたりから、日本ではじつに数多くのゲームハードが発売されるようになった。
ことに、家庭用ゲーム機の進化は目まぐるしく、数年経てばまた新しいハードが発売される始末である。
有名なものでは、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン、赤ファミ)に始まり、
スーパーファミコン、ゲームボーイ、NINTENDO64、ゲームキューブ・・へと続いていく。
他者もこぞってゲームハードを開発し、セガサターン、プレイステーション、ドリームキャスト、
ワンダースワン、PSP・・など、任天堂に引けを取らないまでのゲームハードを次々と開発していき、
今日競争を激化させている。
このゲームハードの進化に伴って、ゲームスペックも格段に進化した。
例えば、ゲーム中のマップが2Dから3Dになり、サウンドの質は日増しに良くなった。
さらに、コントローラのボタンの数が増え、キャラクターに複雑な操作をさせることも可能になった。
また携帯用ゲームを中心に、ケーブルをつなぐ、無線で発信するなどの方法によって、
プレイヤー同士がリアルタイムで相互にデータを共有・交換できるようになった。
しかし、ゲームスペックの進化はその一方で、今なお数多くの汚点を残している。
多くの家庭用ゲーム機が出現したことによって、プレイヤー側にとっては選ぶ楽しみは増えたが、
そのぶん経済的な消費が過剰に増える傾向がある。
また、家庭用ゲーム機はPCと違い、ハード間の互換性がほとんどない。
そのため、新しい家庭用ゲーム機でゲームをプレイするには、それらをひとつひとつ買わなければならず、
テレビにつなぐ配線や電源ケーブル等、取り回しが煩雑になりやすい。
さらに、ゲームスペックの進化はあまたの「クソゲー」を生み出し、
プレイヤーを食い物にしては捨てていく。
最近はビジュアル面のみが重視され、ムービーばかりが多用されているゲームが多く目に付く。
が、これは筆者としては誠に遺憾である。操作性の良さと、しっかりとした重厚なシナリオ。
この2つがあってこそ、ゲームは成り立つのではないかと思う。

「良いゲーム」「悪いゲーム」――ゲームバランスについて
世の中には、「良いゲーム」と「悪いゲーム」が存在する。
ゲームの善し悪しは、最終的にはクリエイターではなく、プレイヤーが決定し、評価を下していくものである。
そして、総合的に見て、良いと思ったゲームが「良いゲーム」となり、悪いと思ったゲームが「悪いゲーム」となる。
この決定づけには、個人的な問題のほか、ブランドや他者の評判など様々な因子が加味されることがほとんどであるが、
筆者は、「良いゲーム」と「悪いゲーム」について、これまでの経験則に基づいてこう定義する。
「良いゲーム」とは、プレイしていて楽しいゲーム、そしてプレイ中は自然に時間の経過を忘れられるほど
心の底から熱中できるゲームである。
ゲームは、われわれ人間にとって享楽・娯楽の道具のひとつであり、楽しむことが目的であるため、
本当に楽しめるゲームは、一度プレイを始めると個人の意思ではなかなかやめることができない性質を持っている。
それこそが、真に「良いゲーム」なのである。
プレイして後から単に楽しかったというだけのゲームは、当該プレイヤーにとって本当の意味で
良いゲームとはなり得ない。
「悪いゲーム」とは、プレイヤーにとって理解しがたく、かつ受け入れられないゲームである。
例えば、ストーリーや操作性が極端に悪いゲームや、プレイヤーに理不尽なまでに複雑なボタン操作を要求する
難易度の高いゲームが、これに該当する。
また、ゲーム内容に比してやたらと値段が高いゲームソフトも、悪いゲームの範疇とされることがある。
ゲームは楽しむことに意義があるため、プレイヤーに嫌悪感を抱かせることがあってはならない。
いずれにせよ、真に良いゲームであるためには、製作者が、不特定多数のプレイヤーの立場に立って考え、
独り善がりにならないように留意することである。
プレイヤーが、初めてゲームを開始した時に、まず最初に何を行えばいいのかを示す。
それは、オープニングムービーを流すのであったり、いきなり操作を要求するものであったりするが、
すべては製作者の意図と手腕ひとつにかかっている。
また、難易度や表示(ロード)の速度、シナリオの整合性を調整し、デバッグを繰り返して
1つのゲーム作品を製作する。
こうしてゲームバランスの調整をすることで、1つの作品はようやく完成するのである。

参考資料等
・Gamers Resources
・コスティキャンのゲーム論
・コンピュータゲーム論
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